島津家第27代当主島津斉興公が江戸時代の天保6(1835)年に造営した庭園です。
江戸時代末期に造営された本庭園は、書院からの鑑賞を意図して造られた庭園と回遊式庭園の双方の様式を併せ持った庭園であり、意匠・材料などの観点から地域独特の風土的特色を示しており、南九州の大名庭園として学術上・鑑賞上の価値は高いです。
なお、玉里邸の諸建築は明治10(1877)年の西南戦争で焼失しますが、斉興公の五男、島津久光公が再築し、明治12(1879)年に上棟しました。
その後、昭和20(1945)年の太平洋戦争によって茶室、長屋門、黒門を残して建造物は焼失しました。
