薩摩の名刀といわれる波之平の初代刀工行安は、橋口正国といって大和(奈良)の国から薩摩に入り、永延(987-988)年頃、この地に住みました。
波之平地区は近くに谷山海岸の豊かな砂鉄、背後の山に木炭、そして焼刃渡しの水もあり、刀剣づくりに適していました。行安は一条天皇の御剣を作ったことから、波平刀は全国に名を知られるようになり、明治初期まで64代、900年も続きました。
現在、焼刃渡しの水として利用したという井戸が、波之平と笹貫に残っています。また、数点の刀が市の文化財に5件が指定されています。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)
