西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

 明治10(1877)年9月24日、西南戦争の最終末にあたり、西郷隆盛以下彼に従った幹部が自刃ないしは戦死したところとして貴重な遺跡となっています。
 記念碑の碑文には、「丁丑之役交戦数か月、薩軍日州長井村の重囲を破り、連戦数回鹿児島に帰り城山に拠る。時に9月1日、官軍従ってこれを囲む。これよりのち、激戦虚日なし。同24日の未明、官軍衆を悉くして迫る。翁すでに決するところあり。諸士を卒いて城山を下る。弾丸雨下半ば途に殪る。翁ついに岩崎谷口の砲塁を擁して自刃す。年51歳。桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太、その他悉くこれに倣う。今この碑の立つ所、これ、その終焉の地なり。いずくんぞこの旧跡をして煙滅せしむるに忍びんや。ここにおいて、有志相謀り石碑を建てもって永く記念となす。明治32年9月、これを建てる。」とあり、西郷隆盛終焉の概要を伺い知ることができます。
(出典:かごしまデジタルミュージアム)

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