辺田郷は早くから武芸や学問の盛んなところで、ここに武芸の稽古場である辺田稽古所がつくられ、慶応元(1865)年、辺田学館とあらため、武芸だけでなく学問にも励みました。
この時、教育にあたったのが川畑半平清真でここで学んだ人々の多くは薩英戦争、戊辰の役、西南戦争で活やくし、辺田郷の名を高めました。
川畑半平は、士族以外の人たちにも学問が必要だとして明治5(1872)年、士族、平民合同の白山小学をつくり、明治20(1887)年、白山・辺田・黒丸小の三校が一緒になって、今の中山小学校ができました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)
