島津家第25代当主重豪は、儒学によって士気をふるいおこそうと考え、安永2(1773)年に藩の学校造士館と武道場の演武館をつくりました。
造士館は、江戸にあった幕府の昌平黌をもとにつくられ、山本正誼が初代館長となり、数百名の生徒に、儒学のうち朱子学だけを教え、演武館では、剣、弓、槍、馬、銃などの稽古が行われました。
また、重豪は、医学について非常に関心が強く、造士館の南となりに、医学を研究する医学院をつくり、薬園を吉野、佐多、山川に開きました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)
