高さ2メートル、周囲約8メートルの大きな石で、その平らなてっペんに探さ25センチ、周囲約1.3メートルのくぼみがあって、水が枯れたことがないといわれています。
大永7(1526)年島津家15代貴久が出水の城主・島津実久の反乱にあって田布施城へのがれる途中、ここに立寄って、この水で鬢のほつれをなおしたことからこの石を「お鬢石」と呼ぶようになりました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)

高さ2メートル、周囲約8メートルの大きな石で、その平らなてっペんに探さ25センチ、周囲約1.3メートルのくぼみがあって、水が枯れたことがないといわれています。
大永7(1526)年島津家15代貴久が出水の城主・島津実久の反乱にあって田布施城へのがれる途中、ここに立寄って、この水で鬢のほつれをなおしたことからこの石を「お鬢石」と呼ぶようになりました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)